全国各地で宿泊施設の開発・運営を行っているホテルプロデューサーの龍崎翔子さんが、フィールドワークという名のホテル巡りを重ねて出会った、ホテルの定義を拡張している宿を紹介するエッセイ連載。第2回は、福岡県・柳川市に古くから住まう、柳川藩主の末裔が今も営む国指定名勝の宿泊施設、「柳川藩主立花邸 御花」に皆様をご案内します。

建築は、人の感情を記憶すると思う。
奈良の老舗クラシックホテルに訪れたときは、誰もいない談話室に暖かな人々の気配を感じたし、経営破綻した温泉旅館に足を踏み入れたときは、そこで働く人たちの息が詰まるような徒労感が蘇ってくるような感じすらする。そこで過ごす人の感情が、空間の中で地層のように積み重なり、発酵し、独特の空気感となってまた人々を迎え入れていく。そんな風にして、宿の空気というものができているのではないかと思っている。
そこに暮らす人の生活や記憶が溶け込んでいるような宿が好きだ。
主人の美意識が滲み出る宿。創業者たちの青春のきらめきが感じられる宿。経営者一族の暮らしが染み出している宿。働く人たちの人間臭さが垣間見える宿。だから、チェーンオペレーション化された宿泊施設もいいけれど、属人的な魅力のある宿を探し出してその世界に浸るのが好きなのである。
福岡県・柳川市にある旅館、『柳川藩主立花邸 御花』はそんな宿のひとつで、その名の通り、かつてこの地を治めていた柳川藩主・立花家の末裔が、その歴史ある藩邸を旅館として営んでいる宿である。

日本庭園と国指定の文化財を望む御花の客室

かつて立花家の当主たちが家族と暮らしていたという御花の邸宅の瓦屋根が窓から続く
「御花」はかつて柳川藩主が実際に家族や側近たちと暮らしていた由緒正しきお屋敷。しかしながら、廃藩置県によって大名から伯爵となり、2度もの世界大戦に翻弄されるなど、世の中に大きな変化が訪れ、旧華族の暮らしも苦しくなる中で、当時の伯爵令嬢・立花文子さん(現代表のお祖母様)は、この立派な邸宅を料理旅館として営むことを決意したのだという。
当時の感覚でいえば、かつての一国のお殿様・お姫様が料亭を営むとは前代未聞。非難轟々だったことは想像に難くないが、「なんとかなるわよ」の精神で、先祖伝来の文化財級の貴重な器で食事を惜しげもなく振る舞い、日本舞踊を披露して宿泊客をもてなしたのだそう。
今でも、春には豪華絢爛な伝統のお雛様を飾り、秋には館内にある能舞台で能を鑑賞する。毎月1日と15日には当主自ら敷地の隅々まで塩で清め、祠の前を通りがかるときは急いでいても立ち止まって頭を下げる。そんな、大名家・伯爵家の文化資本や生活習慣、美意識がそのまま、もてなしとして宿泊施設に落とし込まれ、姿を留めている。

邸宅内の能舞台での能鑑賞体験

御花の外の堀割に舟を浮かべて朝食をいただくことができる

かつて藩主が過ごしていた大広間ではフリッツ・ハンセンの展示が開催されていた

『喫茶去』でのおもてなしの一場面
御花の敷地内には、戦国武将として知られた立花宗茂に始まる立花家の歴史を伝える史料館が併設されている。鎧兜や刀剣、昔の調度品など、歴代当主たちの持ち物などが丁寧に展示されている。展示品を解説してくれていた方が、「立花家の人たちは昔から新しい物好きでミーハーなんです」と語った時、なんだか言い得て妙な気がして面白くもあり、同時に数百年前の偉人の気配と自分が今過ごしている空間が静かに繋がっていくような心地もした。
御花のロビーには、立花家の写真が飾られている。そこに映る立花家の人々は、暖かな気配を纏いながら、目は好奇心に満ち溢れたようにらんらんとしている。この空間に宿る、家族の記憶。生活と文化の痕跡。宿とは、そんな、人々の関係性の中に没入できる場所であり、形に残らないものが受け継がれていく場所でもあるのだと思っている。

ロビーに飾られていた立花家の集合写真
【研究結果:ホテルとは記憶装置である】
空間はそこで過ごしている人の感情を記憶する。その空間で起きた出来事、人々の関係性、生まれた感情。それらが地層のように積もって、独自の空気感へと発酵していくのだと思う。だからこそ、主客問わず、その空間でどんな関係性の人たちがどう過ごすのかが大切なのだろう。ホテルとは、人の体温と息遣いを乗せながら、日常の歴史が閉じ込められたタイムカプセルなのである。
