記憶に残るホテルや、旅先での体験、お土産、忘れられない味などなど・・・。旅にまつわるさまざまな思い出をほぼ毎日更新。本日は、コピーライター / ライターのかまがみまほによる、帰りたくなる宿について。
旅とホテルのミニコラム:日常に旅の余韻とヒントを。
戻りたいと思える場所|かまがみまほ
2025.11.26
No.079

5月の平日。朝起きてその日の仕事を確認をすると、早急にやるべきタスクがひとつもなかった。ミーティングも入っていない。もしかして今日のわたし、暇?! すぐさま有給を取り、ずっと行きたかった宿に電話して、品川駅から新幹線に飛び込んだ。窓から差し込む初夏の若い光が、眩しくて、嬉しい。
お目当ては、「庭文庫」という宿。少し高台にあるその古民家に入ると、まず目に入るのは本。置かれた本、積まれた本、並んだ本。そう、ここは宿でもあり、(古)本屋でもある。購入はもちろん、宿泊者は滞在中、お店にある本を好きなだけ読んでいいとのこと(最高!)。久しぶりに色んなことを忘れて、風と虫の声に包まれながら、ひたすらページをめくるだけの一晩を過ごした。それはまるで、なにかを取り戻す作業のようだったと今になって思う。

翌朝、起きて縁側に座り、読みかけの本を開いたまま宙を眺めてみる。新緑の匂いが吹き抜けて、サワサワと木が揺れる。そしてなんとなく、「また来よう」じゃなくて「戻ってこよう」と思う。上京して4年。東京での生活は好きだけど、じわじわと根が張っていくような感覚があって、怖かった。大きな木ではなく、ふわふわと綿毛のように、思い立てばどこへでも行けてしまうことを忘れたくなかった。忘れていないと信じたかったから、ここに来た。
バスの時間が来て宿を出るとき、オーナーご夫婦が歌をうたってくれた。大きな川は絶えず流れて、風が優しくそよいでいる。柔らかなギターの音と馴染みのある歌詞を一緒に口ずさみながら、どうしてかボロボロと、涙が溢れて止まらなかった。

かまがみまほ
コピーライター / ライター
1998年生まれ、北海道出身。イギリスの大学で観光学を学んだが、現在は日本語のコピーライター / ライターとして、言葉を考えること全般を生業とする。
戻りたくなる、古民家ホテル
忙しい毎日のなかで、ふと心ほどける時間を。
