記憶に残るホテルや、旅先での体験、お土産、忘れられない味などなど・・・。旅にまつわるさまざまな思い出をほぼ毎日更新。本日は、クィアギャル見込みの苔による、旅先での過ごし方について。
旅とホテルのミニコラム:日常に旅の余韻とヒントを。
誰かの故郷|苔
2025.11.13
No.074

旅の目的地というものはつねに誰かにとっては居住地であって、わたしの旅情をさそったあの景色も、誰かにとってはふるさとの原風景だったのだとおもう。誰かの思い出のアルバムに写っている道はわたしにとってはただの通学路だったし、わたしがつまらないと吐き捨てた地元の風を吸いこんで生き返った心もきっとあったのかもしれない。

旅をしていると、もしもこの街で生まれ育っていたらどんな自分だったのだろうと想像する。きっとこんな性格で、こんな部活に入って、こんなご飯を食べて、こんな笑い方をするんだろう、などとぼんやりとした妄想をし、存在しない人生を楽しんでみる。その妄想の足しになればと、しばしば旅先のスーパーに行っては、そこに暮らしている人かのように食材を買ったりするし、あえて温泉のついていない宿に泊まって、夜は地元のスーパー銭湯に浸かってみたりする。そうすることで少しずつ、妄想のなかのわたしの輪郭がはっきりとしてくる。
けれど、その表情が見えかかったころにはすでに旅は終わりの時間に近づいていて、その姿ははっきりと見えずじまいのままだ。旅を終えて自宅の最寄駅に到着するやいなや、その姿はもう思い出せなくなってしまって、輪郭がぼやけたままのわたしが今もまだ日本じゅうに散らばっているような気がしてしまう、が、どの場所に彼らを置いてきたのかすらもう思い出すことができない。
妄想を終えた帰り道に思うのはたいてい「ああ、この街で生まれ育った自分になってみたかった」という羨ましさだ。けれどわたしは、あのつまらない地元で育っていなければ、今ごろこんな旅の楽しみ方をするわたしにもなっていないのである。

苔
クィアギャル見込み
「今の社会では話せる場所が少ない、けれども私たちにとっては重要なこと」をテーマに、執筆活動やおしゃべりを行う。ブログ執筆や各種媒体への寄稿、Xのスペース「ウチらのサイゼ会」主催。
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