記憶に残るホテルや、旅先での体験、お土産、忘れられない味などなど・・・。旅にまつわるさまざまな思い出をほぼ毎日更新。本日は、芸人の九月による、B面の旅について。

旅には「ハレの旅」と「ケの旅」があるように思う。観光客として観光地を巡るのが「ハレの旅」である。観光地の有名無名は問わない。その土地を愛で、新鮮に驚き、何かを発見しようと思った時点で、ある意味での「ハレ性」が生まれる。
それに対して、あたかもその土地で生まれたかのように、とりとめもなく日常を送ろうとすることが「ケの旅」である。何を愛でるでもなく、何に驚くでもなく、何を発見するでもなく、ふつうに暮らしたい旅である。
僕はもっぱら後者、「ケの旅」を愛好している。これは僕の職業的な意識に起因する。僕は今どき珍しい旅芸人をやっている。あちこちに行く。

したがって、各地を回ることはその土地でコントライブをすることとイコールである。このとき、ライブをしている時間はちょっと「ハレ」である。そうなると、観光地まで回っちゃうと「ハレ」の過剰摂取でおなかいっぱいになってしまうのだ。
こと僕の芸風はわりかしファンタジーで、「悲しいときに目から純金が出るおばさん」とか、「かっこいいホッケ」とか、「握力が強すぎて左拳から光を放つ少年」とかを演じる。自分で言うのもなんだが、情報量が多い。そういうのを一時間とか二時間とか、長いともっととか、各地でやるわけだ。そうなると、観光地を回っていたら魂のキャパが持たない。だからこそ、遠征時にもライブ以外の時間は「ケ」をなぞるのだ。
「ケの旅」の方針はただ一つ、その街に生まれた自分が日常的に座ったであろう椅子を探すことだ。今生きている自分を「Aの僕」とするときの、「Bの僕」になりきり、平然と椅子に座り、ぼうっとするのが目標だ。
例えば大阪市。南海なんば駅の前には大きな広場があり、たくさんの椅子が置かれている。「Bの僕」はその椅子に座って、友達と話したことだろう。あるいは福井県池田町。池田町の役場にはカフェスペースがあり、「Bの僕」はその椅子に座って、だらだらと雑誌を読んだことだろう。那覇市。日差しが強いから日陰のベンチを探したことだろう。札幌市。冬は寒いから外になんか座らなかっただろう。そういうことを考えながら、自分の座った椅子を探す。
困るのは、一見して椅子が少ない街である。観光地であるとか、人通りが多いだとか、はたまた治安上の問題なのか、たまに椅子の少ない街がある。そういう街でも「Bの僕」ならば椅子を見つけたことだろう。注意深く街を眺めて、椅子を探す。探せば見つかるものである。
椅子に座るとき、僕の身体は「Bの僕」と重なる。ちょうどこんな姿勢で空を眺めただろうとか、近くの自動販売機でサイダーを買っただろうとか、そういうことを考える。
そのときの気分は、そこに存在したかもしれない自分を愛で、新鮮に驚き、何かを発見していくようなものであり───、ともすると「異なる自分を観光する」というようなものかもしれない。あれ、ハレかもしれない。
余談。これはケーキに現れたCの僕。


